上林道庵家が慶長年間(1600年代)から400年に渡り宇治の地で営んできた、徳川将軍家御用達、上林三鱗園ブランドの使用権、並びに伝統の宇治茶をご提供致します。
上林三鱗園の歴史:
上林三鱗園は、上林道庵家が経営してきたお茶問屋の名前です。
上林道庵家は、北村道悦と上林久重の長女、久茂の姉妙休との結婚により、1570年頃に宇治で創設されたと伝えられています。上林家は、第56代清和天皇の子孫である清和源氏頼秀の末裔で、源秀家(上林六郎)を祖とし、上林郷(現在の京都府綾部市)を拠点に足利将軍家に仕えていました。1570年代初めに織田信長の家臣、明智光秀によって攻められ、上林郷から宇治へ移住しました。1577年、久重の四男久茂は信長から知行を授かり、宇治郷代官となり、信長への茶の献上を命じられたことが、お茶師としての上林家の台頭の始まりでした。
道庵家が茶師となったのは三代目からで、元禄6年(1693年)からは、御袋御茶師として上林春松家(上林道庵家の初代、妙休は上林春松の姉)、上林三入家など他の上林家と共に徳川将軍家へのお茶を献上し、主に小田原藩主大久保家、亀山藩主松平家、京都西本願寺などの御茶御用を務めていました。明治維新により、幕府や藩の庇護を受けていた茶師の伝統が廃れ、多くが廃業や転業を余儀なくされましたが、道庵家は茶商として存続し、15代楢道翁は大正時代に宇治町長を務め、地域のリーダーとして活躍しました。
現在、上林三鱗園の登録商標権は、上林楢道翁の曾孫である上林浩樹が保有しています。
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