上林家、宇治代官と茶頭取に

徳川家康は「伏見城の戦い」に続く関ヶ原の戦いでの勝利を収め、全国を支配する体制を構築しました。重要な地点は徳川幕府の直轄地となり、交通の要所であり茶師の町である宇治もその一つとして幕府の管理下に入りました。

上林家は幕府の直轄地となった宇治を管理する代官に任命され、その後、世襲で代官職を務めました。宇治代官として上林家は、幕府の年貢の徴収など重要な任務を担いました。さらに、上林家は茶師を統括する「茶頭取」という役職も務めており、将軍家の御茶御用の際には、宇治の茶師たちが上林家の指揮のもとで御茶詰めを行う重要な役割を果たしました。

三鱗園's Ownd

上林三鱗園ブランドのご紹介 400年の宇治茶の歴史と伝統

0コメント

  • 1000 / 1000