• Home

上林三鱗園ブランドのご紹介
400年の宇治茶の歴史と伝統

2024.08.14 23:52

上林家、宇治代官と茶頭取に

徳川家康は「伏見城の戦い」に続く関ヶ原の戦いでの勝利を収め、全国を支配する体制を構築しました。重要な地点は徳川幕府の直轄地となり、交通の要所であり茶師の町である宇治もその一つとして幕府の管理下に入りました。上林家は幕府の直轄地となった宇治を管理する代官に任命され、その後、世襲で代官職を務めました。宇治代官として上林家は、幕府の年貢の徴収な...

2024.08.14 23:48

上林竹庵と徳川家の関わり

茶筅を旗印に戦いに臨んだ上林竹庵は、徳川家康に仕え、三河の土呂郷(現在の愛知県岡崎市)の知行権を授かりました。しかし、やがて宇治に戻り、利休から茶の湯を学びました。慶長5年(1600年)、関ヶ原の戦いの前哨戦である伏見城の戦いが勃発し、竹庵は家康の東軍に加わり、茶筅を旗印にしました。家康が会津攻めに向かっている間、西軍が伏見城に迫りました...

2024.08.14 23:36

太閤の御茶頭取・上林家の誕生

秀吉、愛用の宇治茶を保護本能寺の変後、豊臣秀吉が天下統一者となる中、宇治では新興の茶師・上林家が古参の森家を超え、確かな地位を築いていました。『兼見卿記』によると、天正12年(1584年)、吉田兼見が宇治茶の見物に訪れた際、「上林家には焙炉が48あり、茶を誘う者が約500人いた。宇治が最も繁盛している理由がわかった」と記されています。この...

2024.08.14 23:27

上林道庵家が慶長年間(1600年代)から400年に渡り宇治の地で営んできた、徳川将軍家御用達、上林三鱗園ブランドの使用権、並びに伝統の宇治茶をご提供致します。

上林三鱗園の歴史:上林三鱗園は、上林道庵家が経営してきたお茶問屋の名前です。上林道庵家は、北村道悦と上林久重の長女、久茂の姉妙休との結婚により、1570年頃に宇治で創設されたと伝えられています。上林家は、第56代清和天皇の子孫である清和源氏頼秀の末裔で、源秀家(上林六郎)を祖とし、上林郷(現在の京都府綾部市)を拠点に足利将軍家に仕えていま...

2024.08.14 23:25

伝統の宇治茶ブランド

宇治茶は商標登録によりブランド化されています。宇治茶の定義は以下の3つです。一 京都・奈良・滋賀・三重で栽培されたものであること。一 京都府内で製造・加工されたものであること。一 京都府産の茶葉を優先することこの定義によって、宇治茶の伝統が今日まで受け継がれています。

2024.08.14 23:24

宇治茶 足利義満の御用達

宇治に移住した上林家は、奈良と京都の中間に位置するこの地が、古来より交通の要衝として機能していたことを見出しました。宇治川は、京都と大阪を結ぶ重要な水路であり、宇治が茶の産地としての基盤を築くための基礎は既に整っていました。元中3年(1386年)頃、北山文化を花開かせた三代将軍足利義満は、宇治の茶園を特別に保護しました。保護された茶園は森...

Page Top

Copyright © 2025 三鱗園's Ownd.

Powered byAmebaOwnd無料でホームページをつくろう